世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
在原業平の詠んだ有名な歌。
これには返歌がある。「伊勢物語」には、誰の歌かは判らないがこの歌の返歌として、
散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき
というのがあり、桜の花に対する心の、掛け合いだ。
これ以前の時代から桜は人々に愛され、多くの歌人詠まれ、
万葉集にも多くの歌人たちに愛されてきた。
作者不明
あしひきの 山の際(ま)照らす、桜花 この春雨に 散りゆかむかも
河辺東人
春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
山部赤人
あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも
作者不明
見わたせば 春日の野辺に 霞立ち 咲きにほへるは さくらばなか
そして
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
これは小倉百人一首にもある、伊勢大輔「詞花和歌集」の歌。
更に、
親鸞
明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
そしてもう一首、
桜といえば・・・西行の
願わくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月の頃
仏には 桜の花を奉れ わが後の世を 人とぶらはば
奈良時代以前の頃は中国文化を受け桜よりも梅を詠んだ歌が多かったが、平安時代に入った頃になると貴族、国風文化か栄え、花というと桜の花が代表され、愛の歌・別れの歌・心、思想の歌等にも使われるようになった。
もちろんこの頃には、ソメイヨシノはまだなくほとんどが、「山桜」のようだった。
皆既月食の夜、我が葉衣居にて雨の桜を見上げつつ
では・・・
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