樫の葉の もみぢぬからに ちりつもる 奥山寺の 道のさびしさ
(利休の路地の心得) 慈円
先日我が家の屋根に覆いかぶさっている樫の木の枝を払った。
寒々とした中庭にも実によく日が当たるようになった。
以前にも書いたとおり、夏には日陰を作り文字通りおかげで我が家にはクーラーが必要ないくらい涼しく過ごさせてもらっていた。
今年の夏はどうなるのだろう。
すぐ南側に大きな桜の木があり、毎年樹勢の張りあいで勢いの強い北側の樫が南に勢力を伸ばし、桜の北側の枝が負けてしまい、桜の枝は南半分になってしまったから、今年は思い切ったのだ。
今年の花見が待ち遠しい。
実はこの樫、我が家を建てた記念に、ある人を招き講演会を開いた時に
豊橋では当時まだ珍しかった「棒がし」を仕入れ記念樹として植えたもの。
桜にしても、長野のある建物の前庭に桜を植えた際、近くで成長の様子を見るために一本我が家にも植えたもの。
ともに大切な我が家の記念樹で、
樫は植えて35年桜は20年、ともに根を張り我が葉衣居を支え見守っていてくれる存在だ。
家族とともに30余年、
小学生だった我が子も、今では自分の当時の年を越えるほどの年月が過ぎてしまった。
今も優しく家族を覆っていてくれている。
たとえこの先この家がどうなろうとも、
我が身がある限りこの家と共に成長してきたお前たちを切り倒すようなことはしないつもりだ。
では又・・・
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